生かされること 生きること 1(自分史)

1 いのち①

幼い日の記憶はここから始まる。

生かされる歴史はここから始まる。

暑い日だった。昭和43年、3歳の時の夏。叔父の家、祖母のいる本家に行って、2つ年上の従弟と遊んでいた。遠い日のことで、何をして遊んでいたか、覚えてはいない。

本家の家の前には、夕張へと続く大きな道路があって、先に渡った従弟が向こう側から僕の名前を呼び、手を振った。従弟の白いランニングシャツだけが見えていた。呼ぶ声に従って、横断しようと踏み出した瞬間だった。

緑色のトラックが目の前に迫っていた。引かれる寸前の画像が記憶の中に確かにあって、それは動画ではなく、静止画として鮮明に残っている。自分を覆うように巨大に見えたトラックの画像、ここで僕の記憶は一度途絶える。

 

目が覚めた時には、小さな病院の診療台の上に寝ていて、一番最初に見たものは赤チンこと「マーキュロクロム液」が塗られた膝だった。

そして、父が聞いた。

「母さんにだっこして帰るか?車で帰るか?」と。

僕は、「母さんと…」と答えた。

 

母に抱かれながら、車で自宅へ。近所の理髪店や馬具店のおばさん方に出迎えられた。

その後、治療のため入院生活を送ったと思うが、その記憶は全くない。どんな怪我をしたのかも詳しくは分からないが、確かなことは生きたということ。怪我の一つに左足首の骨折があったらしい。そのためか、雨が降る日にそこが痛む。57歳の今もそれは変わらない。

 

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