生かされること 生きること 3(自分史)

3 生きる力②

 僕の通った小学校はもう昔、昔に廃校になった、児童数200名程度の小さな学校。
しかしながら、子ども僕らでも分かるほどに先生方は研究熱心で、授業づくりに日常的に励んでおられたと思う。

 今でも覚えているは、「主体学習」という言葉。様々な機会に言葉を使い、子どもの中に、教科リーダーを置き、「バズ」といってグループでの話し合い活動を学習活動の中核に据えて、子どもの主体性を発揮させていた。
まさに、今時、「主体的・対話的で深い学び」を昭和40年の半ばに取り組んでいた。
このようなことをしっかり記憶しているのだから、どれほど学校がそのことに熱心に取り組んでいたのかがわかるだろう。

 年1回、公開研究会があって、その日は100名を超える多くの来校者が一杯だった。そして、代表となる学級が体育館で授業をする。その学級になることは、子どもの僕らにとっても誇らしいことであり、自分なりにいいことを言おうと張り切ったものだ。
国語の授業、「八郎潟」。K君が、「は~い」と思いっきり手を挙げて、「八郎はこの世を去ったのだ」と……何とも大胆な発表で参観する先生方の笑いをとったことをよく覚えている。

 主体学習の成果とも言えるのだが、算数の教科書の練習問題や章末問題を全部やって、教科書を終わらせるか、競争する遊びも流行った。算数の教科書は先に解き方が書いてあるから、読めばほとんどのこと、大体はできたんだなあ。

 

 今、職について、学校づくりを進める折り、この学校をイメージすることがよくある。この学校を超えたいとね。

 

 今の主体的に学ぼうとする姿勢・態度はこの時に大いに育まれたように思う。