生かされること 生きること 5(自分史)
5 生きる力④
このバンド、固定メンバーは3人だった。ライブの度に、ドラムやキーボード、時には管楽器のサポートメンバーを加えながら、この後、40年に渡ってあちこちで演奏することになる。メンバーの中にすでに亡くなった仲間をいて、時の流れを感じる。こだわっっていたことは、オリジナルの曲を演奏し続けたこと。自分たちで、曲を作って演奏し続けた。
もう一つは、自分たちで自分たちのライブ、当時はコンサートと言っていたが、企画し、ブッキングしたりしながら、あちこちで演奏した。もちろん、既成のイベントにも参加したけれど……。
高校生、大学生の頃はお金がなかったし、チケットが売れるわけでもないから、会場や機材を借りたりすることが難しかった。
しかし、チャリティーにすると費用がかからない会場があったり、知人を頼って機材を借りたり、そんなマネージメントする能力は、どこで身に着けたのか、メンバー中でも長けていた。
たくさんの街で演奏させてもらった。
岩見沢、札幌はもちろん、旭川、栗山町、夕張、黒松内町、蘭越町、美唄、妹背牛町、江別、南幌町など……現在、昔の声は失ったけれど、自分なりの音楽活動を今後も続けていきたいと思っている。