生かされること 生きること 8(自分史)
8 命④~潰瘍性大腸炎 4
結婚式を挙げ、それからの数年間は、11月頃くらいになると、多少、悪くなるものの、上手に病気と付き合うことができた。
その間に、長男、長女、次男にも生まれた。
職場も道東の町から、故郷に近い、道央の町に異動できた。これが平成5年のこと。この町は、札幌のベッドタウン化を打ち出し、積極的に人口増の施策を行っていた。
そのような情勢の中で、学校も、着任当時、1学年2学級の小規模だった学校が5年くらいの間に、1学年5学級の大きな学校へと変わっていた。
そして、どんどん学校が大きくなる中で、その対応が後手後手になり、学校が荒れに荒れていった。授業が不成立、校内の喫煙、器物破損など、毎日毎日、その指導、処理に追われた。
このころ、この本を繰り返し読みました。
「未だ生を知らず、焉んぞ死を知らん」