生かされること 生きること 11(自分史)

11 命⑦~上咽頭腫瘍 3

 放射線をかけ続けるという治療については、強烈に辛いということはなく、淡々と回数を消化していた。

 だから、命をもっていかれるというような感じは全くなかった。

 きつかったのは周囲の人たちの負担や心配を感じる時だった。

 お見舞い来てくれた、中学校時代の担任先生が話しているうちに涙ぐまれて、逆に僕が掛けることが思いつかず困ってしまった。

 その頃、札幌の中央市場に勤めていた父は勤務が午前中に終わると、ほぼ毎日、病院顔をだしてくれた。ただ、毎日、会ってみても、昨日から今日で大して改善されることもなく、病院の中で起こるエピソードもしれているので、話すこともない。

毎日通ってくれる父の思いが十分に感じられ、心配かけている自分が切ない思いであった。

 妻は、生まれて半年の次男を抱いて、左手に長女と手をつなぎ、そして、長男と病院に来た。

 後から、聞いた話だが、命の確率は、6割4割と言われていたらしいので、どんなにか辛い思いをしていたことだろう。

 

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