不登校を考える 3 いじめとのかかわり 加害者にされた気持ち!

不登校

追いやった生徒が平然と学校生活している……」

とフェスブックにコメントをいただいた。とてもありがたいことだ。このようなコメントによって,考えを広げたり,多角的に考えることができたり,より深く掘り下げたりするきっかけとなるので大歓迎で!うれしい。

 

今回のコメントは,いじめとの関連。いじめの被害者が不登校になり,加害者とされた生徒は,引き続き,学校生活を送っている。このような事実にかかわる学校批判,学校不信ということだろう。

これは不登校の問題ではなく,「いじめ」にどのように対応するかということになるだろう。

まず,「いじめ」の認知に関する課題。加害者の生徒が明らかに悪意を持って,嫌がらせをしたり,仲間はずれにしたりしたならば,これは絶対に許されない。加害の生徒はもとより,観衆や傍観者となった生徒にもしっかり指導する必要がある。
しかしながら,加害者と言われた生徒が悪意はなくても,被害者となった生徒の受け止め方でいじめとなることもある。結局,悪意なく,もっと言えば,被害者生徒にとって,よかれと思った言動が,被害者生徒にとっていじめと解釈されてしまうケース。このような事案の解決はとても難しい。

例えば,Aさんが,Bさんに「ジャージの後ろに穴があいてるよ」と教えてあげた。

それに対して,Bさんが「みんなの前で恥をかかされた。いじめだ。明日から学校に行けない」となったら……。もちろん,Aさんには全く悪意はない。Bさんを思ってのことだ。
もしかしら,Aさんの言い方に工夫ができたらよかったのかもしれないが,このようなことに気が付いても黙認しまいがちな人間関係において,Aさんに「話し方まで配慮しろ」と言うのは酷ではないか?

ある生徒が,ある時に,僕に訴えた。

「いじめの加害者にされた人の気持ちを理解してほしい」と。

このような事案に対する意見は様々,正解はない。ご意見を大いに伺いたい。

 

「子どもを何とかする前に,それをしようと苦悩しているママ自身をまずなんとかするのが最優先です」(本書からの引用)

 

気持ちが厳しくなると,この動画を見て,気持ちを奮い立ててます。
ライブの臨場感が伝わってきます。

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