現状をどう捉えるか?不幸と思えば不幸です!
「不幸」と思えば不幸です。
健康な方がいい。
普通に、話せて、普通にお話しできる方がいい。
自分の前向きな考え方、ポジティブな行動も、「綺麗ごと」なんて言われると、そうかもしれない。無理して、「幸福だ」と納得しようとしてませんか?と言われると、そうかもしれない。
「ダメだ、ダメだ」とネガティブに考えたら、現状が好転するなら、それもよいのだけれど、「ダメだ、ダメだ」と考えたって、叫んだって現状は変わりやしない。
変わらないなら、現状の捉え方をこれからに生きるように変換した方がよいよね。
こんなことを考えている間は、まだまだ、自然な前向きの境地に達していないと振り返る。この境地に到達すれば、もっと楽に楽しく生きられると思うのだが……。
例えば、人からの批判。それを「攻撃」とるか?「助言」とるか?「攻撃」と捉えれば、不幸になる。
「無意識」にそう考えられるようになること!
そのために……
〇耳を傾ける、冷静に聞く。
〇身構えたり、反論したりしない。
〇腹を立てない。むしろ、感謝する。
実存主義って?
実存主義とは…人々が画一化・平均化していき、管理社会のもとで主体性を失っていると考えたのが、実存主義の哲学者。
「すべての存在・事象は客観的な真理によって説明できる」とするそれまでの合理主義思想を批判して、すべての人間に普遍的にあてはまる本質を追究するのではなく、具体的で現実的な個々の人間のあり方を見つめるべき。
その中でも、ニーチェは、「価値や道徳の基準であった「神」は死んだ。無意味・無目的に繰り返す永劫回帰の世界の中で、力の意志を発揮し新しい価値をつくりだす超人を目指す」とのこと。
「力の意志の発揮」とは……。
現代社会における価値の多様化、その中での主体性の発揮!
勉強したら、何か気づきがあるかもと思ったりした、昨晩でした。
21世紀の働く若者へのエール
日頃から、生徒に「やりたいことを仕事にしてほしい」と話している。
やりたいことが、人に喜ばれ、報酬が得られるといい。
しつこくなるが、「やりたい仕事に就く」ではなく、「やりたいことを仕事にする」なのだ。
「21世紀の働く若者へ贈るエール」というタイトルでエッセイ募集があったので、応募しようとあれこれ考えてみる。
先日の友人との電話。
食品加工会社に勤務する高校時代からの40年来の友人は、「若者が、また一人、辞めてったよ」と嘆く、「同じくらいの報酬をもらえる仕事は他にもあるからね。特にこの会社にも、この職種にも拘りがないからさ」と。
この話を聞いて、「私も教員志望の学生も不足しているんだよね。とりわけ、北海道では勤務地の問題もあるし、その上、時間を問わない激務と感じることもあるのだろうね、やりたい気持ちより条件の厳しさの方が上回ってしまうのだろうな」と。
価値観が多様化する中、勤労観・職業観も僕らが若かった昭和の時代とは変わってきているだろうから、そんな若者にどんな応援をしてあげたらよいだろう。
「我慢は報われる」とか、「一つの仕事をやり遂げる」とか、「仕事の辛さは当たり前」など、そんな根性論ではエールにならないだろう。
今、言えるのは、「やりたいことを仕事にしていますか?」ということだろうと、考える今日でした。
長女は、これが主題歌のドラマを見て、看護師を目指したそうだ。
この本を読んだ時から、僕の人生観は変わった。
不幸キング~自分史 短編 できました!
こんな書き出しで、軽い雰囲気で仕上げてみましたよ。
「不幸キング」と呼ばれて
三十代頃、中学校に勤務していた僕は、職場の仲間から「不幸キング」なんて呼ばれてね、所謂、荒れた学校で、辛いとこ、キツイとこを担当したり、病気もしちゃったりしたから……。
職場の仲間の協力もあって、数回、書き直して、納得できた。
これ以上やってもきりがないから、この辺でよしとして応募する。
「うまくいっている人の考え方」
この本をもとに生き方を整理しているんだけど……「幸せについて」は、
〇今、すでに幸せだと思うこと。
〇現在に、幸せを感じること。
少し視点を変えて、
〇自分の個性を自分で認める。
〇人のために自分を変えない。
などなど。
応募すれば楽しみができるからね。
少し続けてみるつもりだ。
自分史 今年も挑戦してみようと~
先日、「決断」というテーマの文章募集があって応募。
次は、昨年も挑戦したこれ。
今年は短編部門に応募する。
書き出しは、「決断」に似た感じなってしまうなあと思いながら書き始めた。
「六十歳、定年退職の日まで働けますか?」と、僕は主治医に尋ねた。
同じ年齢の主治医は、穏やかな笑顔で、
「大丈夫、そのために全力で治療します」と答えてくれた。
僕は、この医師の力強い言葉を信じ、全てを任せ、約四か月に渡る放射線治療を受けた。治療による様々な身体へのダメージはもちろんだったが、家族の心配する姿に心が痛んだ。
面会終了時間の二十一時、時間外玄関。六月に生まれたばかりの次男を抱き、五歳の長男と2歳の長女と共に帰っていく妻の後ろ姿を何度も見送った。その姿が見なくなっても、「無事に帰れますように」と祈りながら、しばらくの間、舞う雪を見つめていた。
平成八年四月から学校に戻った。町の札幌のベットタウン化の施策により、人口増、勤務する学校も二年のうちに生徒数が二倍となり、五百人規模の学校になっていた。
そのような状況の中、学校が、所謂、「荒れた」。喫煙や飲酒、暴力等の問題行動が多発し、日常の多くが成立しなくなっていた……
その頃の思い出の曲。
長男が遊んでいたのこれ。
スーパーファミコンの時代。
こんな事故も起きた。