自分史 今年も挑戦してみようと~
先日、「決断」というテーマの文章募集があって応募。
次は、昨年も挑戦したこれ。
今年は短編部門に応募する。
書き出しは、「決断」に似た感じなってしまうなあと思いながら書き始めた。
「六十歳、定年退職の日まで働けますか?」と、僕は主治医に尋ねた。
同じ年齢の主治医は、穏やかな笑顔で、
「大丈夫、そのために全力で治療します」と答えてくれた。
僕は、この医師の力強い言葉を信じ、全てを任せ、約四か月に渡る放射線治療を受けた。治療による様々な身体へのダメージはもちろんだったが、家族の心配する姿に心が痛んだ。
面会終了時間の二十一時、時間外玄関。六月に生まれたばかりの次男を抱き、五歳の長男と2歳の長女と共に帰っていく妻の後ろ姿を何度も見送った。その姿が見なくなっても、「無事に帰れますように」と祈りながら、しばらくの間、舞う雪を見つめていた。
平成八年四月から学校に戻った。町の札幌のベットタウン化の施策により、人口増、勤務する学校も二年のうちに生徒数が二倍となり、五百人規模の学校になっていた。
そのような状況の中、学校が、所謂、「荒れた」。喫煙や飲酒、暴力等の問題行動が多発し、日常の多くが成立しなくなっていた……
その頃の思い出の曲。
長男が遊んでいたのこれ。
スーパーファミコンの時代。
こんな事故も起きた。